何も、成し遂げていません。
50年以上、生きてきて
私が成し遂げたことは、何一つありません。
事業を興したわけでもない。
人の上に立ったわけでもない。
名を残すような仕事も、
財産も、家族も、何もない。
若い頃に思い描いていた
「立派な何か」には、
とうとうなれませんでした。
同世代の人たちは、
それぞれに何かを築いていました。
会社で出世した人。
家を建てた人。
子どもを育て上げた人。
同窓会の話を聞くたびに、
私は自分だけが手ぶらで、
ここに立っているような気がしていました。
何も成し遂げていない人生に
意味はあるのだろうか?
長いあいだその問いが、
私を苦しめていました。
それでも私は、
いつもの朝を迎えています。
猫が私の腕の中で、
大きく伸びをしました。
前足をぐっと突っ張ってあくびをして、
また、とろんと目を細める。
そのなんでもない仕草を見て、
私は、思わず微笑みました。
そして、ふと思ったのです。
このなんでもない朝を、
私は、けっこう気に入っている。
窓から差し込む、やわらかい光。
あたたかいお茶の湯気。
膝の上の、小さな重み。
誰にも急かされず
誰とも比べず
ただ、静かに過ぎていく時間。
これは、何かを「成し遂げた」
結果ではありません。
むしろ
何も成し遂げられなかったからこそ、
たどり着いた場所なのかもしれません。
もし私が何かを成し遂げて、
忙しく走り回っていたら、
こんな朝の光の美しさに
気づくことはなかったでしょう。
成し遂げること。
それはたしかに立派なことです。
でも人生の価値は、
それだけで測れるものではなかったのだと、
この歳になって思います。
何も成し遂げなくても、朝は来る。
猫は伸びをする。
お茶は、あたたかい。
そのひとつひとつを
ちゃんと味わえること。
もしかしたら、それこそが
私がずっと探していた
「意味」だったのかもしれません。
何も成し遂げていない私の朝は、
驚くほど、穏やかです。
そして私はこの穏やかさを、
どんな成功とも、交換したいとは思いません。




